気まま猫草

音楽が好きな社会人の徒然

Janne Da Arc解散につきまして

こんにちは。
久々のライブ以外の日記ですが、良くないニュースです。
それでも、自分の中の大切なことなので書かないわけにはいかないと思いました。もしかしたら書かないと前に進めないんじゃないかなと思って。


2019年4月1日 Janne Da Arcが解散を発表しました。

書かないわけにはいかない…と言いつつも何を書いて良いかわからない。書いている今も思い浮かんだまま書き出している状態で。
発表となった当日、翌日は混乱で現実なのか、夢なのかもよくわからなくて。

 

エイプリルフールだから嘘なのかな、
数日後に冗談でした!って言われても怒らないから早く出てきてよ…とずっと思っていました。


解散という事実がどうしても受け止められないし、受け入れたくない。
活動休止の期間の方が活動期間より長くなってからはもう半ば諦めていたのに。

実際に解散を突きつけられると悲しみが溢れて止まらない。
ほぼ諦めていたけど、可能性は0ではなかった。
解散したことで可能性が0になってしまった。自分はきっと可能性が0になったことが悲しいんだ。

 

 

Janne Da Arcは自分の中の音楽幅を広げてくれたバンドでした。

 

私の家族は音楽が好きで、流行のJ-POPが家で流れている中育ちました。音楽番組やオリコンランキングが家のテレビで流れ、車では親がダビングしたカセットテープを流し、まさに音楽漬け。
特に母親の影響で小学生の時に好きになったGLAYは、もちろん自分で好きになったものの気づけばそこにあった存在でした。環境が既に整っていた。

 

そんな中、Janne Da Arcは初めて自分から好きになったバンドだった。


たまたま点けていたテレビで発売週に流れたスポットCM。シリアスで聴いたことないメロディ。こんなかっこいい曲があるのか…Lunatic Gateだった。
タイトルをメモしたが、正直バンド名はなんて書いてあるかわからなかったからタイトルだけ。それが初めて買ったCDだった。小学生にしては1000円は高く。。

 

今は自分で好きな音楽を探すのが当たり前。でも当時はどちらかと言うと受動的で。
もちろん家で流れる音楽、テレビで流れる音楽にも満足はしていたが、自分にとって良い音楽(表現が適切かわからない)は自分で探せばもっと存在するのではないか…と思わせてくれたのは間違いなくこのバンドであり、実際最高のバンドでした。

 

このバンドが解散したことは悲しい。
でも、このバンドがいなければ自分自信が音楽をここまで好きになっていないかもしれないし、存在しなかった人間関係もあるし、存在しなかった会話も存在しなかった未来もある。
Janne Da Arcがいなかったら楽しかった過去も存在しないんです。

 

だからかな、悲しいけど不思議と感謝も同じぐらい溢れてくる。
怒りや憤りは1ミリも出てこなかった。

 

こんな終わり方…と思う人もいるかもしれないけど、こんなことが起こらないと解散という選択肢はなかったんじゃないのかな。


解散発表の直後に頭をよぎったのは湖という曲でした。

 

君を愛してきた“証”を この湖(うみ)に沈めたとしても
君と過ごしてきた時間を 僕は永遠に忘れないよ

 

人を愛するという事は 別れた時、なくした時に
どれだけそこで“ありがとう”と 感じるかどうかだと思う

 

このバンドに対しては自分はどこまでも盲目なのかもしれない。この歌詞が直後に頭に浮かんだことも含めて。でもそれで良いと思っている。

 

結果解散となってしまったけど、きっと何度もやり直そうとしてくれていたんだと思う。そうでないともっと早く解散していたでしょう。
これは自分の想像であり、妄想であり、願望でもあるけども。


五つの星で輝いてる永遠の星座なんでしょ?
きっとその言葉に嘘はなかったと思うんですよね。

 

Janne Da Arcは自分の中の音楽幅を広げてくれたバンドでした。そして、今でも音楽幅を広げてくれているバンドです。
Janne Da Arcに、yasu,you,ka-yu,kiyo,shujiに本当に感謝しています。  

 

解散は悲しい。すごく悲しい。

悲しいけど、ありがとうなんです。


悲しみと感謝を表す言葉があれば良いのにね。

 

このバンドが存在したおかげだけで今の自分の人生があるわけではないですが、自分の人生が存在しているいくつもの要因はJanne Da Arcだと思っています。
それは揺るぐことのない事実です。

 

日程なんて覚えてないけど、1999年9月に偶然出会えて、偶然知れて本当に良かった。

本当にありがとう。