気まま猫草

音楽が好きな社会人の徒然

ご趣味はなんですか?

ご趣味はなんですか?


実際使われているか使われていないかはわからないが、 お見合いで頻出するイメージのある質問がある。趣味ってなんだろう。


趣味:仕事、職業としてではなく、 個人が楽しみとしてしている事柄


らしい。


そうなると自分の趣味はライブ、 音楽がメインになるのかなと思う。


日々生きていると、生活しているといろんなことが起こる。 仕事をしていても、 プライベートで生活しているだけでもいろんな選択を迫られる。
よく人間は1日に35000回の選択をしていると言われる。 それは小さなことも大きなことも含めてであろうし、様々な役割、 立場に則した選択もある。
社会人として、代表として、社長として、営業の立場として、教師として、 親として、夫・妻として、友達として、パートナーとして、 子どもとして… いろんな立場や役職で物を言わなければならないし、 立ち回らなければならない。


様々な役割のラベルを自分に貼り付けることもあれば、 勝手に貼りついていることもある。ただ、 そのラベルが貼ってある以上、 それに沿った行動をしなければならないことが多い。 それが責任というものに繋がったりもする。 生活するとは選択することであり、 選択するとはそのラベルを受け入れるということである。
そんなラベルが気づけば剥がれている時間がある。 それが趣味の時間である。


趣味…自分のことで言えば冒頭の通り、 音楽に没頭しているときである。 その時間は抱えている問題も自分の役割もなく、 何者でもない自分になっている。 この時間だけが何者でもない自分になっている。


何者でもない時間は趣味に没入しているときだけではないだろうか 。
音楽を聴いているとき、初めてバンドサウンドを聴いたとき、 新たなバンドを知ったとき、ライブへ行ったとき、 ギターを触ったとき…趣味は時間さえも超越する。 趣味を楽しみ始めたのが3歳だったとして、歳を重ねど、 生活は変われど、立場は変われど、 その趣味を楽しんでいる時間は何も変わらない。 30歳を過ぎても変わらない。 もしかするとこれが永遠かもしれない。
何者でもない自分がこの時間だけは誰にも奪われることのないときを過ごしている。


楽しいことは集中することであり、没入することであり、 没頭することである。

〝時間も忘れて…〟という表現をすることもあるが、その〝 時間を忘れる〟ということが、何者でもない自分になれる。〝 我を忘れて…〟 という表現はラベルが剥がれていることそのものである。


趣味がない人も最近多いと聞くが、 その人の方が自分としての役割を持った時間を多く生きていて、 いわゆる社会性が高いのかもしれない。 いわゆる大人なのかもしれない。 それが良いか悪いかは置いといて、 私にとって趣味は自分の殻を脱ぐことに必要なツールなんだと思う 。


趣味は何者でもない時間を与えてくれる。
生活に疲れたときは自分にとって何者でもない時間が足りないのかもしれない。
趣味の時間だけは強要されることもなく、阻まれることもなく、 自由に没入できる時間でありたい。

 

 

ご趣味はなんですか?


そうなると、結婚して新たな役割を持つ可能性があるお見合いの場で、この質問はトリッキーなのかもしれない。トリッキーであり、シリアスな質問なのかもしれない。本当はお見合いには向かない質問なのかもしれない。


みなさん、ご趣味はなんですか?