気まま猫草

音楽が好きな社会人の徒然

自分のライブ日記から他者と介在するツールへ

普段はライブについて日記を書いて、未来の自分のための備忘録にして…というのを繰り返しておりますが、今回はライブ日記について日記を書きたいと思います。


というのも、ライブ日記を書くようになったきっかけを聞かれることが多くなり、その度に思い返したりするんですが、いろんなフェーズがあり、どれがきっかけかわからなくなり…どれもきっかけなんだけど…となり、忘れないように書き記すべきかなとなったためです。
いつものライブ日記は百歩千歩譲って誰かのためにもなっているかもしれないけど、今回ばかりはパーソナルすぎて誰の役にも立たない仕様となります。ミスチル風に言えばタガタメです(言いたいだけ)


早速、初めてライブへ行った時期に遡って、フェーズを追っていきたいと思います。


【初めての感想文】
初めて有名な人のライブに触れたのはこのブログでも書いている2000年11月18日のGLAYである。

 

snowmansan.hatenadiary.jp

※このブログは後追いで書いただけでその当時のものではない


ライブの内容に触れるつもりはさらさらないのだが、
初めてのライブ
初めて生で触れるバンドサウンド


にとても感動し、当時母親と一緒に行き、 さいたまスーパーアリーナでのライブが終わり席を立ち、 けやきひろばを歩き、駅に向かう道を進み、イトーヨーカドー(当時)で待つ父親に会い、 車で家に帰るまでずーーーーーーーっとライブがどれだけ良かったか…という話をしていた。そのときに母親が、


今日感じたことを日記にしておきなさい


と言っていて。


その頃はブログをやっていなかった…そもそもパソコンも持っていなかったし、 小学生で携帯も持っていなかったから、スケジュール帳に感想を書き殴った。 おそらくこれがライブに触れた初めての感想文だと思う。
そこからライブへ行くたびにミスドのスクラッチカードのポイントを貯めて手に入れたスケジュール帳にありったけの感想を書き殴って満足していた。日付が入った横長の空欄に書き記された小さな文字が当時の熱量を物語っていた。


その後、 インターネットが徐々に発達してくると個人ブログをやっている人を複数見つけ、 その人たちがライブレポを書いてる様を目にするようになる。GLAYだけでなく、ジャンヌダルクなどいろんなバンドのレポートがあった。
そのことに対しては“ああすごいな”とは思っていたけど、 自分も書きたいってほどでもなく眺めるだけであった。 おそらく2006年ぐらいまでの話。


そこから一つ転機がある。
mixiである。


mixiへの招待】
現在mixiは招待制は廃止されたけど、当時は招待されないとアカウントを作れなかった。mixiは好きなもののコミュニティに参加したり、日記を書いたり、交流したり、自分がほぼ初めて参加したSNSである(初めてはGREE

そのmixiへの参加といろんな日記との出会いがインターネットでライブ日記を書くようになった肝かもしれない。
 
これまでライブレポはGoogleとかYahoo!とか検 索エンジンで検索していたものの、mixi内で書いてる人がいて(増えて)、 自分が行ったライブをmixi内で検索するようになっていた。

自分もライブへ行った感想文をスケジュール帳からこのmixi内に移行していたものの、駄文拙文で読めたものではなかった。誰からもコメントはない、本当に書くだけ書き殴って満足していた。いまいち曲に対する感想の書き方もわからなかったが、あるとき素晴らしいライブ日記に出会う。


2008年4月12日 GLAY HIGH COMMUNICATIONS TOUR 2007-2008 追加公演@さいたまスーパーアリーナのライブ日記だった。


【日記のフォーマット】
それまで見てきたレポートは
次に演奏されたのがASHES-1969-。そこからMCで〜と言っていて、VERBがスタート。スピード感のある新曲でかっこよかった。誘惑が始まると…


みたいな感じで良くも悪くもゆるゆると、流れるようなレポートだった。
ただ、その方が書いてたのは


1.ASHES-1969- 
TAKUROさんのギターのストロークからスタート。2人で合わせてカウントを取る様がシリアスでした。


2.VERB
HISASHIさんのリフから始まる新曲で、初めて聴いたけどかっこよかった。


MC
TERU「さいたまー!HIGH COMMUNICATIONS TOUR追加公演へようこそ!」


3.誘惑
久々のGLAYのライブで誘惑聴けて懐かしかった。2000年ヘビゲツアーのときに…


のように、記載されたセットリストの間に感想やMCを挿入していくスタイルだった。目から鱗だった。


今はこれが普通なのかもしれないけど、初めて見たときは見やすくてわかりやすくて、そして書きやすくて衝撃だった。こうやって書けば良いのかと。今の自分の日記のフォーマットにもなっている。また、セットリスト通りに振り返っていくと、ライブを思い出せて記憶を呼び起こせるんですよね。


そこからこのフォーマットを使ってライブ日記を書き進めるようになる。
3年と少し後、別の転機が訪れる。


【推敲】

 

snowmansan.hatenadiary.jp

2011年8月28日 中島卓偉 [男子限定GIG]Real Hot Bollocks! 俺達だけのCherry喪失Night!@新宿LOFTのライブ日記を書いた頃である。これは過去に書いたmixiの転載である。


このとき初めて卓偉さんのライブへ行き、それはそれはえらく感動したわけです。
いつもの調子で日記を書き上げ、卓偉コミュニティに〝ライブレポを書きました〟ってコメントを入れたんだと思う。承認欲求が今よりもあったから。


そのときに沢山〝レポありがとう〟というコメントをいただいた。それはそれで嬉しかったけど、その足跡を辿ったある方の日記を読み、またまた衝撃を受ける。


その男性が書いた文章は臨場感がすごかった。言葉の使い回しが上手い。
臨場感を出すためにぴったりの言葉を選定している、主観として引き込まれる。
段階を踏んだ説明をしているためわかりやすい。
すごい…の一言しか出てこなかった。


それまで自分の文章は推敲をしてこなかった。この状況を表現するにはもっと他の言い回しがあるかもしれない…適切な表現があるかもしれないと考える余地がなかった。これこそライブレポであり、自分のものはレポートには程遠い。この日から自分の書いたライブに関するものをライブレポと呼ぶことをやめた。


もちろん便宜上、レポと呼ぶことはあれど基本はライブ日記と呼ぶようになった。


その方の文章レベルに到達したわけではないが、そこから書き上げるライブ日記は推敲を覚え、徐々に変化していったように思う。
自分の感情や思い、周りの状況をできるだけわかりやすく、臨場感が伝わるように上手く表現したいという気持ちが湧くようになった。いろんな言い回しも調べようとしたし、学ぼうとした。身になったかは別として。


その気持ちがあるからTwitter
〝語彙力〟
〝エモい〟
〝伝われ〟


という言葉で説明を諦めた人を見ると虫唾走ることもある。
それはちょっと余談であり、言い過ぎた表現でもあるけど、その方が書いたライブレポが私自身の書き方や在り方、アティチュードにかなり影響を及ぼしているとは思う。


それ以降はmixiからこのはてなブログへ移行したぐらいでしょうか。この4つのフェーズがライブ日記を書くきっかけや継続する要因になったものかな。

 


【番外編】
少し話は逸れるが、ライブ日記書いていることで記憶力がめちゃめちゃ良いと勘違いされることがあるけどそれは大きな誤解で。私の記憶力はそんなによくない。


勉強はできない方ではなかったものの、突発的な記憶力…例えば〝和歌を覚えて発表しましょう〟みたいな短時間で覚えて披露するものが非常に苦手だった。全然覚えられなかった。


勉強ができない方ではないと言っても、人よりも長く勉強していただけで効率は特に良くない。

人よりも頑張らないと、
書かないと、
メモを取らないと置いてかれてしまうと思っていた。


記憶力がそんなに良くないから、思ったことや感じたことは書き記さないと…と常々思っていたこともライブ日記を書くことに繋がっているとは思う。なので、ライブ中にメモを取ることはなくとも、ライブが終わったら箇条書きでばーっと書き出したりはする。
記憶力はそんなに良くないのです。記憶力が良かったら日記書かないのです。
-----------------------------
色々と書き出してみましたが、思い出してみると自分でも忘れていたようなターニングポイントのようなものがあり、自分で言うものでもないけど、人に歴史ありだなと思った次第です。


ライブ日記は未来の自分のために書き始めたもので、9割以上が自分のためですが、これをきっかけに出会えた方がそこそこいて、その方々とライブが終わってからもライブを共有できているのは嬉しいことだな…と考えが少しずつ変わってきました。


どのバンド・アーティストがきっかけで読んで下さったかはわかりませんが、関わりを持って頂いてありがとうございます。おかげさまでライブ日記は自分のためのものから、人と関わりを持つためのツールとして昇華しました。

これからもペースはゆっくりと、でも末永く書き続けたいと思います。次回があればライブ日記の書き方について書いてみたいと思います。